「新聞研究五十年」小野秀雄先生

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ということで、先日新聞研について書いたのでその続き・・・・。

この小野先生という先生は、1885年に生まれ、独文科をご卒業ののち、萬朝報、東京日日新聞の記者のかたわら、大学院で研究もされ、1926年には志願講師として世界新聞史の講義をするのです。

先生は、日本において新聞学(今風にいうと、マスコミュニケーション研究とかジャーナリズム研究)の研究施設をつくるという大望を持っておられました。まー、そのためには、まずは、東大のなかに、新聞研究の講座を作ることが必要と思い、いろいろと活動されたのです。

まー、だいたい、大学のなかで新しい講座をつくるというのは大変なわけです。予算がいるわけで、力のある教授はどんどん新しい講座を作って勢力を拡大しようとみんな思っているわけですから・・・。

そこで、小野先生は、実業界から寄付を集めて、寄付講座として設置しようとするのですが、当時の文学部長だった美術史の滝教授が寄付金の受け取りを拒否するのです。
小野先生はこの本のなかで「滝教授のような美術史の教授は美術のことがわかるだけで、新聞学のような社会科学には見通しがつかないのである」とか「滝博士のような独断主義者が手前勝手なまねをしても手を出し得るものがなく、現在見るるような大学退廃の大きな原因はこうした(先輩の作った地盤に安座する)二世連中が作り出したのである」と最大級の罵詈雑言をもって滝教授を批判しておられます。

まー、先生の運動の甲斐あり、1929年には文学部内に新聞研究室が設置されます。まー、そういった事情もあり正式の講座というか専攻ではないので、文学部、法学部、経済学部から指導教授が来て研究活動をし、小野先生は嘱託兼講師になります。
 ちなみに、そのとき、指導教授になったのは、文学部からは戸田貞三教授、法学部からは南原繁教授、経済学部からは河合栄治郎教授とそれぞれ、社会学政治学、経済学の大先生です・・・・。

まー、1949年に新聞学研究所ができるまでは、小野先生はずっと講師なのですが、1949年に先生の念願かない新聞研究所ができ、小野先生は教授、所長に任命されるのです。

まー、大学で新しいことをやるのがいかに大変かというのがわかる本であります。

あとやっぱり、アカデミズムからすると小野先生は新聞を実際につくっていたわけですから、なんとなく疎外されていたようです・・・。

大学のあり方については、今でもいろいろと議論がありますが、その際の参考にしてほしい本の1つであります。