「教科書の中の宗教-この奇妙な実態-」

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なんか、天候不順で、外では雷が鳴っています・・・・。

たまの宗教本。
この本は高校の倫理の教科書についていろいろ調べて、倫理の教科書の宗教に関する説明がニュートラルでないということを示している本です・・・・・。

たしかにそうだなと思ったのは、この本で紹介されている勝利主義史観。

たとえば、教科書では、おおざっぱにいうと「ユダヤ教の限界を克服したのがキリスト教」みたいな感じの叙述があるようです・・・・。

しかし、ユダヤ教さんも当然よいところもあるし、いまでも信者がいるし、確かに当時のユダヤ教の在り方をキリストは批判したことはたしかでしょうが、なんかユダヤ教=乗り越えられるべきものという前提に立って教科書があるとすればそれは公平ではないでしょ。

まー、日本の仏教についてもそういう勝利主義史観からの説明があるようです。
たとえば、ある倫理の教科書には、「法然の専修念仏の教えから出発して、しだいにそれをのりこえ、純粋な信仰の立場を確立したのは、浄土真宗の開祖とされる親鸞である」
という記述があるそうです。

まー、ミラー家は先祖代々浄土真宗本願寺派門徒なのでこの記述にも違和感がありませんが、浄土宗さんからすると違和感があるはずです。「純粋な信仰の立場を確立」したのが(浄土真宗の)親鸞聖人ならば、(浄土宗の)法然上人の信仰は純粋じゃなかったのか、もっというと不純だったのかというつっこみもありえるでしょう・・・・。

たしか、歎異抄にもでてくるのですが、他宗を軽んじてはならないという教えがあります。
こういった教科書を叙述するにあたってはしらずしらず自分の信仰が反映されてしまうはずです。

この本では、海外の例も紹介して解決の方向性を紹介されていてよい本だと思います。


たしかに、ニュートラルに教えるのは難しいですが、どうすればよいか引き続き考えていきたいミラーであります。