真継伸彦氏「光る聲」

ひさびさに重たい本の紹介・・・
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ということで私にとっては思い出深い小説です。
この前内田先生の話をブログで書いたのですが
内田義彦先生(別にこの本に登場するわけではない)→専修大学→・・・ということで思い出し読んでみました。

話は1956年にさかのぼります・・・・。
1956年にかのハンガリー革命がおこるわけです。
まー、ソ連の圧政に抗したハンガリー人民が決起をするわけです。それに対してソ連は武力で弾圧をします。

その過程で数千人のハンガリーの市民が殺害をされるわけです・・・・。

この小説はそのときの日本国内における共産党員の姿を描いたものです。

当時のある大学(小説の中では文教大学となっていますが、モデルは専修大学です)のなかの共産党細胞の話なのです。

当時の日本共産党のなかでは、「この事件は国際共産主義運動の発展のためには仕方がない」といった意見が大勢だったのです。
しかし、この小説の主人公の教授は「それでいいんだろうか」と煩悶するのです。

脱党を決意し、細胞(いまでいうと支部にあたるんだとおもう)会議を招集するのです。いまからかんがえると奇異なことなんですが当時は、日本共産党でもソ連共産党というのは問題なく支持すべき対象だったわけです・・・。
この小説では教員の中の共産党細胞の会議ではキャップである学部長はソ連の武力介入をやむをえざるものとして受け入れるのです。ちなみこの学部長のモデルはだれがどうみても講座派の大立者で「日本資本主義分析」の山田盛太郎先生です・・・・。

この小説で党の決定でなく良心にしたがい脱党する先生のモデルは雪山慶正先生だと思います・・・。
雪山先生はソ連共産党弾劾の決議を細胞であげようとするのですが、否決され脱党するのです・・・・。

この小説のなかでなんども出てきますが、問いかけられているのは「国際共産主義運動の前進のために共産主義者が人民を虐殺することが許されるのか」ということなのです。

高校生の時この小説を読んだ自分はスターリン主義だけは許せんと思ったのであります。

かといってこの小説の主人公も脱党するかどうかとかをうだうだ悩んでないでスターリン主義弾劾のために立ち上がればいいだけじゃんかと思っていたのです。

でも最近読み返してみるとその煩悶もわかるような気がしたのです。

雪山先生は知識人としての葛藤があったことが最近わかりました。
遺稿集を最近読みました・・・。

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昔は、学者というとプロレタリアートの立場に徹しきれない浮遊した存在でふざけたやつらだと思っていました。
でもこれを読むと、雪山先生のように学者としてどうかという前に人間として誠実に生きようとして学者という生き方を選んだ人がいるということがわかりました・・・。

まー、これって、たんなる半世紀前の問題ではないわけです。チベットについても同じことだと思います。中国がなぜ武力行使ができるのかを今いちど考える必要があると思います・・・。

雪山先生の問いかけを考えつつ今日はもう寝ます。