「昭和の二刀流ビルマに死す」

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ひさびさに心ゆさぶられる本を読んだので深夜だけど更新します。昨日の夜8時ころも更新しているので、とばさずお読みくださいませ。

珍しく剣道の本。残念ながら、私は剣道については、全然で竹刀を握った記憶すらない。

たまたまブログの検索で「高松」とか「香川県」というワードを入れていたら紹介されていて、アマゾンで早速購入した本。

この本は、「藤本薫」さんという香川県の生んだ剣豪の話なのである。氏は高松中学(いまでいう高松高校)を経て、早稲田大学に進学、故あって中途で香川にもどり、父君が局長を務められていた仏生山郵便局で事務員をしていた昭和9年の天覧試合に出場。決勝戦まで勝ち進むのである。逆二刀をつかうことでしられていた。

そういえば、そういった人がいると聞いたことがあると聞いたことがあるような記憶があったが、どこで聞いたか、誰から聞いたかというのは忘れていたのである。

この本を半ばまで読んである記憶が出てきた。

この本にも取り上げられているが、平成元年に高松高校の体育館が立ったのである。そのとき落成記念講演会があって、大島功先生というわたしからすると高校大学の大先輩が講演をされたのである。私が卒業したのが、平成2年なのでその場で話を聞いている。そのなかで、この藤本さんの話がでてきたのである。なんか、当時は、「そういったえらい剣豪がいたのだ」ということしか思い浮かばなかった。

ちなみにこの大島功さんは、この本では全剣連会長という剣道のえらい人として紹介されているが、私の記憶だと検事をされていた方で、大学の同級生が団藤先生という話をその講演会で聞いた。「団藤君は学生時代から人の何倍も勉強していた」と聞いて刑法学者になるのは大変だなと思った記憶がある。「君子は行くに径によらず」という話をされたことを記憶している。

この本を読んではじめて知ったのだが当時、この藤本さんの孫が高松高校に在学して大島先生の講演を聞いていて藤本さんの息子さんと大島会長の間にも交流があったようである。ようするに私の同級生か1年先輩か後輩に大剣豪の孫がいたのである。奇遇なことである。

この講演を聞いたとき、藤本さんがその後どうなったかを聞いた記憶はなかった。
この本を読むと残念ながら戦時中ビルマでおなくなりになったそうである。ご冥福をお祈りするものである。

著者の南堀さんという方は小豆島で公務員をされている方のようです。この本をお書きになったのは、息子さんが高校の剣道部で活躍され、大学でも剣道を極めんとしているとの由。
そこで、同県出身にもこんな立派な選手がいたので、がんばれという意味でこの本を執筆されたそうである。立派な心がけである。
こういった偉大な先輩の事跡をいろいろ苦労して世に紹介された氏に敬意を表するとともに、100万県民を勝手に代表して感謝するものである。

顧みすれば、私はこのような偉大な先輩をもちながらいまだに道半ばなのである。

ということで、今日は、藤本さんのご冥福をいのりつつ、もうちょっと仕事関係の調べ物をして寝ます・・・。