菅氏は憲法を勉強したほうがよい・・・。


菅大臣いう人がいて、予算単年度主義を見直そうみたいなことをいっているのである。

いろいろ長生きすると悲しいことがある。
憲法の意味を理解しえないおろか者が大臣になり、それに誰も文句をいえないわけである。

いくら菅氏といえども、日本国憲法に第八十六条で「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。 」となっていることは知っているはずである。

まー、そもそも、複数年度予算にしたから予算の無駄遣いがなくなるというのがよくわからんのである。それよりも、国会で予算、決算の審議をちゃんとやるほうが、無駄遣いがなくなるはずである。

仮に万一、複数年度予算にすることによって予算の無駄遣いがなくなるとしても、日本国憲法の趣旨に思いをいたすべきである。この憲法86条というのは、予算の無駄遣いがどうとか、そういった技術論的なちょこまかしたレベルで論じられるべき条文ではない。

なぜ、我が国憲法は、予算単年度主義を採用したか。もし、憲法の答案であれば、一年ごとに予算を国会で審議することによって、財政を民主的にコントロールする、みたいな説明をするのかもしれないが、それ以上のことがある・・・。
予算単年度主義というのは、「戦争をできないようにした制度」なのである。
たとえば、近くの図書館にあった財政法のテキストを読むと「戦時における軍事費特別会計が戦争終結までの期間をもって一会計年度としたことは周知のとおりである。しかし、一般会計における会計年度一年制の原則は、暦年をもって国民生活の基礎とする文明国家共通の事項であり財政制度確立のための絶対的要件といってよい」とある(杉村章三郎『財政法[新版]』35頁(有斐閣、新版初版、昭56年))。

まー、ようするに、戦争しようと思えば、一年ごとに予算を立てたり、国会の承認をとったりしている場合ではないのである。だから、戦後戦争ができないように予算単年度主義にしたわけなのである。

まー、要するに予算単年度主義の廃止というのは間接的に戦争への準備を進めるといっても過言ではない。

まー、そこらの右翼が、「戦争をするために憲法を変えよう」というのは、その主義主張を批判すればよいのだから、わかり安い。しかし、こういった一見ただしそうな菅氏の主張は国民に浸透しそうで恐ろしいからより注意深く批判せねばならない。

まー、いくら菅氏といえども、「戦争をしよう」と思ってこういうことをいっているのではあるまい。

だからといって彼が免責されるものではない。
強盗よけにドアに鍵を閉めている家があったとして、「出入りがめんどくさいから、あけっぱなしにしよう」という人がいれば、強盗に入ってくださいといっているようなものである。そいつが強盗の一味か、さもなくば、よほどのたわけ者である。

困ったものである。それにしてもなぜ、憲法学者とかは、それに対して反論せんのだろうか。がんばってほしいものである。

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それにしても、杉村先生の財政法やけにきれいな表紙になっていると思ったら、有斐閣さんの復刻のオンデマンド印刷みたいなのがあるそうです。
素晴らしいことです。。