「柳宗悦 妙好人論集」

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ということでたまの仏教ネタ。まー、いろいろきっかけがあって、先祖代々ミラー家の宗旨である浄土真宗についてしるべしと思って読んだほんです。

この本にあるとおり、「「妙好」は元来「白蓮華」を意味する語で、泥の中に育ちながら浄い花を咲かすハスのように、浄らかな信心をもつ信徒を「妙好人」と呼ぶ」そうです。おもに浄土真宗門徒さんが多いようです。

まー、だいたい、地方であんまり学問も財産もないけどひたすらに信心をしている人です。この本でも多くの人が紹介されています。

多くのエピソードが紹介されているのですが、私が一番すきなのは、讃岐の庄松さんという人のエピソードです。庄松さんという人は、香川県大内町(いまでは東かがわ市になった)あたりの方で、幕末から明治の初めに生きたかたです。


まー、いろいろとエピソードが紹介してあります。
とりわけあたくしがすきなのは、以下のエピソードです。
この本にも出てくるのですが、
庄松さんの旦那寺の住職さんは庄松さんをたいへん可愛がったそうですが、役僧(いまでいう法務員さんみたいな人か)はいじわるをして、ある日、全然字の読めない庄松さんに、漢字ばかりのお経を示して、なにをかいてあるのか読んでみろといったそうです。庄松さんは、動ずることなく、「庄松を助くるぞよ、助くるぞよと書いてある」といったそうです。

信心というものの意味を考えさせるよいエピソードです。
たしかに、物理の法則であれば、いろいろと勉強をして、その意味を探求することに意味があるでしょうが、信心というのは要するに信ずるかどうか、なのでありましょう。

歎異抄にある「経釈をよみ学すといへども、聖教の本意をこころえざる条、もつとも不便のことなり。」とはこういうことなのでありましょうか(違うかもしれませんが・・・)

三本松駅の近くの興正派さんのお寺に銅像があるそうですので、一度お参りしようと思っているみらーであります。