「菊の御紋章と火炎ビン―「ひめゆりの塔」「伊勢神宮」が燃えた「昭和50年」」佐々淳行氏

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まー取り上げるかどうか左翼の私としては多少、戸惑う本です。
著者の佐々氏は、安田講堂とか、あさま山荘攻防戦においての警察側の指揮官。三重県警本部長、防衛施設庁長官、内閣安全保障室長などと、まー、私のような左翼からすると100パーセント敵側の陣営にいる人です。

実は、氏の本はほとんど読んでいて、今回の本もまー、よまずんばあらずという感じです。

今回の本は警察庁の警備一課長として、昭和50年に皇太子が沖縄海洋博にあわせて行啓するのを警備したのと、その数ヶ月後に、三重県警本部長として赴任して、国体の警備(天皇行幸+また皇太子・・・・)について細かくかかれているのです。

昭和49年には結構大事件があって、1月にシンガポールシージャック事件、8月15日に文世光事件が起こるわけです。著者の佐々氏はその時は、警察庁の外事課長なので、事件の渦中なわけです。その後、警備課長に異動してから、フォード大統領来日、八鹿高校事件と大事件が起こり、50年が、海洋博。で、ひめゆりの塔事件というのがあって、戦旗の西田派(まだあるんだろうか・・・)と沖縄解放同盟(どういう組織かはよく知りませんが)が火炎瓶を皇太子に向かって投げつけるということになるのです・・・。
三重の国体のときは、伊勢神宮で火炎瓶事件が発生するなど、いまとはくらべものにならない治安情勢なわけです。

まー、左翼陣営側からすると、70年代前半というのは、70年安保の敗北を乗り越えていこうという時代なのです。
私の整理では、3つぐらい大きな特徴があって、1つは武装化の進展なのです。72年のあさま山荘、74年の三菱重工爆破とか、銃とか爆弾とかでがんがんやろうみたいな路線に走っていた人も結構多かったわけです。

2つ目の特徴は、75年のスト権ストに代表されるように、やっぱり労働組合としてストをがんがんやっていこうという流れです。

3つ目が左翼陣営内部対立の進展なわけです。早稲田川口事件が72年。本多事件が75年と、革共同両派の内ゲバが進展するわけです。八鹿高校事件もようするに社会党系と共産党系の内ゲバなわけです。
こんな時期の警察は今の10倍か100倍大変だったろうなと思うのです。

いずれにせよ、この時代に「新左翼=過激派。爆弾とか作ったり、殺人とかをしたり危ない人たち。陰謀をめぐらして電車を止めたりする」みたいなよくないイメージが形成されたようです。

佐々氏の共感できるところは、「警察の第一線で苦労している警察官の働きを後世の記録に残そう」という姿勢が一貫していることです。部下の手柄をいろいろ書き、失敗の責任が部下だとはちっとも書いてない点です。これは人間として立派なことです。反面、だらしない上司については、実名をあげてぼろくそに書いています。まー。たぶん在職中も、いろいろ下から上司を突き上げるタイプだったようです。

ただ1点だけ、この本を読んでおもったこと。ひめゆりの塔事件のとき、実行部隊は1週間くらい、近くの洞窟に潜伏していたのです。常識的に考えて警察がこれを発見できなかったのは不思議なのです。佐々氏の本によると「沖縄戦で犠牲者が多く出た洞窟だったので、聖地のようだと思っている沖縄県民に配慮して、検索しなかった」とありますが、到底、本当にそうなのかと思うのです。

一般論として、警察というのは左翼組織に協力者(いわゆるスパイ)をもっているわけです。世界一優秀な日本の警察ですから、当然事前にある程度の情報はスパイから入っていたはずです。

それで、殺傷能力はないということを知って泳がせてたというのが真相ではないでしょうか。
まー、佐々氏としては、当然墓場までもっていく話のほうが多いのでしょう。
たとえ、スパイとかがいても、そんなこと絶対記録には残せないでしょうが・・・・。

まー。警察側から一度歴史を見てみたいという人にはお勧めできるほんです。