昨日の続き。大学再編と基礎研究

ということで、昨日の続き。

いま国立大学が法人化されたり、大学も「儲けようぜ」みたいな時代になっている。決して悪いことではない。資本主義なんだからある枠組みのなかで儲けることはよいことである。

しかし、大事にしてほしいものがあるのである。

それは基礎研究の分野なのである。すぐに金にならない研究が削られては困る。
物理や数学の話は先日したので、文系の話をすると文系だと語学、歴史学、哲学。この3つの教育をきっちりやらんといかんと思うのである。

ともすれば、大学に入ってすぐに、専門科目をやろうという大学があるのであるが、それはちと違うのではないかと最近になってわかったのである。

だいたい、フランス革命についてまじめに勉強したことのない人が、近代の憲法について語るのは変だし、正義とはなにかという哲学、倫理学上の問題について、深く考えたことのない人が、裁判官になって、法と正義の名のもとに人を裁くようなことになるとそういった裁判は受けたくないものだなと思うのである。

かくいう私も、歴史学、哲学については、大学時代においては相当高い水準で勉強することができた。周囲の先生や友人に感謝するものであるが、語学というものは徹底的にさぼりつくしたのである。

はっきりいって英語の授業で出席したのは、教養2年間で2コマ。フランス語は5コマくらいである。
下手をすると、他のやる気にあふれた学生が1週間で授業にでるくらいしか授業にでなかった。
当時は、別に「自分で勉強すればええやん」と思っていたが、語学のような、訓練と積み重ねを要するものは、一人では難しいのである。だからいまでも、海外の文献を読んだりすることはまずできない。
なにをやるにしても語学ができないといかんのである。反省しきりである。

まあー、だから、文系だと、上記の3つの分野はなにをやるにしても基礎だということで、しっかりともっと手厚くやったらどうかと思う。あと、教員もとくに語学はやる気の薄い人がいたような気がするが、もっと教員層の充実させたほうが良いと思う。どうしても今の制度だと、仏文科の教授になれなかった人が、教養課程のフランス語を教えたり、なにか専門があって、片手間に語学を教えるというような人が多いような気がする。教授法も工夫をして、語学教育の分野をもっともっと開拓できるのではないか。
歴史学、哲学についてもまた同じ。将来的に経済学を学ぶ人と、将来的に法学を学ぶ人の哲学はちっと違うかもしれない。そこを有機的に結びつけが必要だと思う。

ということで、リメディアルを含めて、あらたな大学教育が求められているのだと思う。