裁判員制度に思う。

ということで結局私のところには、裁判員制度の通知はこなかったのである。もしきたらどうしようかと思い悩んでいたのだが・・・。

それにしても、あまり裁判員制度はもりあがっていない。たしかに、裁判所、法務省としては広報活動はやっているのだが、広報活動にとどまらない活動が必要だ。

2000年に、日本全国をIT化するために、ITの講習会をそれこそ、いなかのなんとか村の公民館にいたるまでやったということがあった。小渕首相のリーダーシップでなしとげられたのである。いまの、インターネットの発展はこのときの努力が実を結んでいるという側面もあるのではないか。

裁判所・法務省もそれくらいの全国民的なとりくみが必要なのだ。たしかに裁判所にいくと、いろいろと説明会などをやっているのかもしれない。それだけではなくて、山奥の村一つ一つに司法関係者がいき、この裁判員制度というのが、明治維新以来の日本の司法の在り方を変えるくらいの大きな取組なんだ。それによって、国民全体の幸せにつながるんだということを熱くかたるぐらいのことが必要なのである。

なんぼかけてパンフなんか作っても多くの人は読まないし、CMを作ってもそれはそれで限界がある。

多くの国民にとって、行政というのは日常的に接しているのである。地方自治体以外の国としての行政と考えても、職安とか、陸運局とか税務署とかいっぱい日常的に行き来があるはずである。
立法というのも結構みじかなはずである。統計をとったことはないが、我が国国民の50パーセントくらいは、なんらかの形で立法府の一員である国会議員の集会にいったり、握手をしたり、なんらかの形で接触しているはずである。

しかるに司法との接触はどうか。裁判の被告になったり原告になったり、という人は、かなり少ないはずである。司法というのはやはり、国民にとっては遠いもの。
そういった存在感をかえる試みなのであるが、あんまり、運動としての広がりがない。
裁判官一人一人はどう思っているのか。その生の声を聞きたいと思うである。