弁護士増はそんなに悪いことか。

昨日の復習。
Aをいままで弁護士がやっていた仕事。
Bをこれから新規に弁護士が開拓する仕事
とすると、


① そうはいってもAに参入してくる人が増え価格競争になる。安かろう悪かろうになる。
② Bのいままで未開な仕事に参入してもすぐには食えない。せっかく弁護士になったのにそれでは大変ではなかろうか。かわいそうである。
だから、弁護士を増やすのはよくないという議論である。

まず、①から行く。
安かろう、悪かろうというのは、それだけでは、「長期的には」司法サービスとしては成立しえない。あたりまえだ。完全に市場経済で弁護士のサービスの価格が決定されるとする。もし、弁護士になっても儲からないということになれば、それだけ新規参入が減る。あるいは、儲からなくてもいいやという人しか参入しなくなる。そうすると、サービスの提供者が減るから単価は上がる。当然の理屈である。安かろうはいずれなくなる。
同様に、いま悪いサービスをしている人がいるとすると、簡単に悪評が立つ。お客様がつかない。当然失業する。
そもそも、安かろう悪かろうつまり参入が増えれば価格が下がるというのであれば、別に弁護士の仕事というのは、ハンバーガーショップなみの仕事でしかなかったということである。だったら、別に参入規制なんかやめて、だれでもできるようにしたほうがよい。「たとえ、競争が増えて大変になっても心意気でいままで以上のクオリティーを出す」というのが、弁護士の使命ではないか。日弁連はそういう志をわすれてないか。市場原理がなじまない自分たちは、一般の産業と違う特別の産業だというのであれば、「銭は関係ない」という心意気をちゃんと示してから議論をしてほしい。

② 食えない弁護士が増えるからという議論である。食えなかろうが、どうだろうが、知ったことではない。たとえば、博士号というのは、とるまでに最低でも5年はかかると思う(これも論文博士という例外があるが・・・)。5年間の生活費、大学院の授業料、教授へのお礼、研究費・・・・ とるには莫大な投資がかかる(ただし、専門分野とか、大学とか、教授の人格とか、守銭奴度とかによる)。いまオーバードクターが問題になっているが、別にだれも、可哀そうだとはいっていない(一部いっている人がいる)。なぜなら、自分で選んだからだ。
たとえば、私がコンビニを投資をして開業をした。自分が食えないと困るから、周りへの出店を規制してくれと市役所に頼みにいったら、「あほか」と思われて終わりである。
弁護士がすきで弁護士になって、食えないから、参入規制をしてくれというのは、それと同じくらいナンセンスな出来事である。コンビニが増えて利益率が下がるから大変だというコンビニ経営者がいたら「だったらやめれば、自分で決めたんでしょ」としかいいようがない。

ようするに、弁護士会というのは、昔の銭湯の出店規制のようなことを望んでいるのか。既得権擁護主義というのは、常に醜いものである。