マル覚えの是非。

お疲れ様です。

ということで今日の更新です。
今日は、私の考える勉強法について
極端なケースを2つ紹介。

① 理解重視型
 社労士にはすくないかもしれないが、司法試験から転向してきた人には多いパターンかも。テキストをよみこみ、なぜ、そうなっているかを深く考え、場合によってはいろいろと参考書籍を調べるタイプ。たとえば、「なぜ、労働基準法では休日労働には割増の賃金が支給されることになっているのか」とか、「なぜ、国民年金で、一定の人には保険料が免除になるか」とかいうことを疑問に思ってちゃんと趣旨を理解することは、極めて有益なことであり、大事な姿勢である。
 しかし、よくよく考えると、限界が。国民年金は40年間保険料を納付すると年額792100円の年金が受け取れる。
試験対策ということでは、この792100という数字は覚えておいたほうが良い数字であるらしい。しかし、この数字はどこから出てきたかといっても、合理的な説明は実はむずかしいのではないか。まあ、いままでの流れでという部分もある。消費税がなぜ5パーセントなのか聞かれても誰も説明できないのといっしょ。要するに社労士試験というのは、趣旨を完全に理解できないこまかいことまで聞かれるということである。

② 記憶重視型
 上記の間逆が「覚えたもん勝ち」という考え方。趣旨が分かろうがわかるまいが、とにかくまる覚え。わからんでも、ごろ合わせとかをして覚えるという考え方。昔の歴史でいうと「いいくに作ろう鎌倉幕府」みたいなことである。人によるかもしれないが、こればっかりやってると、なんとなくつまらんし、流れを見失うきがする。
司法試験業界で有名な話がある。ある年の論文試験。ある試験委員が採点をしていると、まったく同じ答案が2通あった。それこそ句読点までいっしょ。ほかにも、ほぼ同じ表現の答案が何通かあった。その試験委員は「これは、カンニングだ」と確信し、当局にに調査を依頼した。当然、当局は当日の試験監督や関係者に調査を行ったところ、以外な事実が判明した。まったく同じ答案を書いた受験生2人は、別の部屋だったのだ。もう、20年前くらいの話なので、携帯とかメールとかない時代だし、「テレパシーか」と大騒ぎになった。
しかし、さらなる調査により意外な事実が判明したのである。なんと、その年の問題がある予備校の予想問題に似ており、受験生がその模範答案をそのまま再現したというのだ。要するに、その受験生2人は、予備校の模範答案を完璧にまる覚えし、そっくりそのまま書いたわけだ。予備校の模範答案が良くなかったのか、あるいは、実は、問題が似ているように思えて論点が違う問題だったのか、その2人が満点になることはなかったといううわさであるが、理解が重要と思われる司法試験の世界においてすら、それほど○覚えというのは、広まっている学習法であるというひとつの逸話である(努力は認めるが、自分が仕事を依頼する立場だと、そんな融通の利かない、創造性のない弁護士がいたらい仕事は頼まないと思う)

で、わたしは どうなのか。
昔は①であった。趣旨を追究するのが学問だと思っていた。趣旨を追究しようと本を読んでいるうちに数字なんかも頭に入ってきた。だから、昔は、英単語も年号もごろ合わせで覚える必要がなかった。
最近は、記憶力がおとろえてきた。最近、参考にしているのは、http://www.syarobe.com/goro/goro.htmというごろ合わせ専門サイト。素晴らしい出来だ。
思えば、数学の円周率だって、最初は、むりやり、3.14と覚えさせられたわけだ。質問すると「そういう決まりだ」と怒られた。しかし、高校ぐらいになって、いろいろと考えるようになった。いろいろ計算して「3よりは大きいわな」とか、「3.05よりは大きいわな」とわかるようになってくる(実際、東大の入試問題で「演習率が3.05より大きいことを証明せよ」というのが出てぶっとんだ記憶がある)。これだって、最初、むりやり覚えたから理解が深まるということであろう。小学生の段階で、「なんで3.14か」と考えても答えはでない。年金の細かい数字もまずは、「国会でこう決まったのね」と受け止めるということが必要なのだろう。


ということで今日は、理解も記憶も両方大事だという話だった。