ダメ教員問題

先日に続いて大学ネタ。まー、やっぱり一番本質は教育品質の向上なわ
けです。
そう思っているところ、

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090525-OYT1T00637.htm

という記事を発見。
「どうせわからないだろうと学生を見下す」
「学生を無視し猛スピードで話し続ける」
「家族の自慢話ばかりする」
「授業の準備をしない」
といったことがダメ教員のポイントとしてあげられています。まー、そ
もそも人間としてダメだろうに・・・。
みなさんも「そういった先生いたな」と思いあたる節があるんじゃない
でしょうか。

そういえば、昔、筒井康隆さんが、「文学部唯野教授」という本を書い
たことがあります。その本の中には、「講義で何をしゃべっているかま
ったくわからない教授」とか「何回に一回は自然休講(要するに連絡な
く教授が講義に現れないために休講になってしまうこと)になる教授」
とか、まー、いろいろひどい大学の実態をコミカルに描いているわけで
す。
当時、高校生だった私は、「実際に大学ってこんなにひどいんだろう
か」と思っていましたが、まー、事実は小説よりも奇なりで結構ひどい人
もいたのも事実です。

でもさすがにわが母校には「授業の準備をしない」という人はいなかっ
た気がします。

ただ、教育困難大学ではいろんな人を教員として雇っているようです。
一般論として、まだ、ちゃんと学問的修行をしてきた人は、体系的に学
問を語れるので、それなりに形がつくわけです。
また、たとえば、コンサルタントや士業として一流の実務経験がある人
もちゃんと体系にもとづいて自分のケースが話せるのでよいのです。
一番こまるのは、会社をリタイアした実務家教員で、別に学問的バック
グランドはなく、1学期15回話せるほど高度な体験もない場合です。
そういった人でも、ちゃんとファシリテーションスキルでもあれば、新
入社員研修でやるようなグループワークでもやってそれなりに気づきを
あたえることができます。しかし、多くの場合、それすらないわけです
から(注、あくまで一般論)、かくして、大学という名の教育機関で、自
分の卑俗かつ矮小な人生観に基づいた「コツコツがんばるとことが大切
」とか「企業では人間関係が大事」とかいう講義ならざる「説教」が
展開されるのです。
そういった科目でも「ビジネス科学概論」とか「経営学特殊講義」とか
いう名前で単位が貰えてしまう大学があるようです。

 まー、深刻な問題なんです。そういった場合でも大学というのはほと
んど補助金をもらっているから税金が注がれているわけです。

小学校、中学校、高校の教員になる人は、多くは、大学で教職を受け、
教育実習をやり、教員免許を得、採用試験に受かりというフィルターが
あるわけです。
しかし、大学の教員というのは、極端な話、別に学歴がなかろうがなれ
るわけです。

これでよいのかと思うのは私だけでしょうか・・・。
なにせ今回の山形大学ほかの大学の「あっとおどろく 
大学教師NG集!」の作成は断固支持であります。