時効問題

毎週、日曜日見ている番組の中に日テレのバンキシャという番組があるのである。今日の特集として公訴時効の問題がとりあげられていたのである。公訴時効というのは、ようするに犯罪を犯した人がのまま逃げまくって、一定期間たつと、起訴ができなくなるよという制度なのである。

しばらく前の2004年刑事訴訟法改正で死刑にあたる罪は25年で時効となったのである。施行日の2005年1月1日以降の犯罪については、25年の時効なのだが、それ以前の犯罪には遡及して法律は適用されないので15年で時効にかかってしまうのである。番組の趣旨としては、公訴時効があることによって被害者の犯人を見つけだして処罰してほしいという希望が著しくそこなわれるので、廃止したほうがいいということなのである。

私の考えとしては、それだけでは、ただ単に感情論といわれかねないので、「時効の期間を長くした方が、犯罪が抑止されるはずだ」ということをちゃんといったほうがよいのではないか。激情的な犯人以外は、「15年逃げれば殺人OK」など理性的に考えていると思う。ちゃんと計算がはたらく犯人だったら、「15年は逃げることができるが25年は無理」と思う人がいるかもしれない。少なくとも、「時効が伸びたからどんどん犯罪をしよう」と思う人はいないはずである。警察としては、捜査する期間が延びるかもしれないが、いまだって、時効完成前に捜査本部を完成して実質的には捜査をほぼしていない事件だってあるのだから、いまよりコストは増えないはずである。

そもそも公訴時効がある趣旨としては、
① 時間が経つと証拠が散逸して裁判になったときに検察も弁護側も訴訟を追行していくのが大変だ
② 時間が経つと、犯罪の被害者や遺族の処罰感情も薄れる
③ ずっと逃げている犯人は、逃亡生活の中で、経済的にも悲惨な生活を強いられ、また、常におわれているという意識があるので精神的にも追い詰められるので、十分制裁を受けているのではないか。

という3つくらいがあると思う。

①については、いまやDNA鑑定とか最新の技術があるわけで、昔よりは、その根拠は薄れている。
②については、たしかに窃盗や詐欺などの財産犯では、その意味はあると思う。何年も前に盗まれた金について犯人が見つかって処罰されても、別にいまやどうでもいいやと思うと思う。しかし、殺人といった凶悪犯罪については、遺族の処罰感情が薄れることはあまりないのではないか。
③については、たしかに指名手配されて逃げるのは大変である。職も失うし、交番の前をとおるたびにつかまるんではいかと冷や汗ものであろう。山奥でひっそりと暮らすしかないかもしれない。しかし、誰が犯人かわからないまま逃げている場合は、そうではないだろう。仕事を失わないまま、同じ住所で社会的生活を送っている凶悪犯人がいるかもしれないのである。

以上より、少なくとも、指名手配をしたり、犯人が特定されていれば、公訴時効は適用されない。もしくは、そもそも公訴時効そのものをやめて、犯罪行為から起訴までが一定の期間を超えれば裁判所の裁量で刑を軽減できるという制度にしてはどうか。

ということで今日は、お腹がへったからもう寝ます。