検定の公正性

ということで最近思うのは、検定の公正性。
きっかけは、大分県の教員採用試験である。縁故のある一部受験生に対して大幅な加点がなされていたという試験の公正性をおおきく疑わせるものである。
幸いにして日本の資格試験では、あまりこういった問題が起こるのを聞いことがない。たとえば、司法試験では、そもそも答案に名前が書いてないから、採点する人もその人だけ加点するのは無理。もし、解答欄や欄外に「私は○○なので採点よろしくお願いします」などと書いたら、それだけで答案そのものが無効。合格者の決定は司法試験管理委員会でしっかり管理されているので、不透明さはない。

しかし、昨年ある、KO大学(仮名になっとらん)の教授が、受験指導のかたちで、場合によっては試験問題の漏えいと評価されてもしょうがない行動を行っていた。
そもそも国の司法権に対する信頼を失わせる行為であり(要するに、「あの裁判官どうせ問題ばらしてもらってなったんやから、判決がしんようでけん」と思う人がでてくるということ)、対策が必要だ。
私が思うのは、各種国家試験の委員になる人はその年は大学の授業は離れどこかに缶詰になるくらいのことがあってもよいのではないか。あまり、大学の講義から離れる人が多くても問題となるので、たとえば、民法の教授で司法試験の委員になったら、司法書士行政書士もそれこそ宅建も缶詰になって問題をつくればよいのである。どっかの島に施設を作って外界と隔離する。
憲法の教授あたりが、「個人の自由を過度に制限するのでよくない」とかいうかもしれないが、試験の公正さにはかえられない。ずっと試験を作るわけではないので、研究もするだろう。たとえば、民法の教授と国際私法の教授がともに缶詰めになって交流をすればあらたな研究分野が生まれるかもしれない(D垣内教授とかはご兄弟で参加されることになろう)。ぜひ検討してほしい。
教員採用試験も各県別々に実施しているが、本当にそれでいいのか。地方でちゃんとした運用ができなければ、国全体で一括でやることも検討していいのではないか。
試験関係者は真剣に再発防止にとりくんでもらいたいと思うんであった。